寒い寒い朝でした。
ひめちゃんと獅子丸は、北の方にお散歩してきました。
3月なのに、赤城山が真っ白です(°_°)
赤城山の一番東の峰には、雲が懸かっていることが多いので、雨や雪が降ることが多いと思われます。
今話題の久留川(黒川谷)は、その峰の麓になります。
どうだったかな?
ひめちゃんたちも遠出はしないで、早めに帰りました(^-^)/
『桐生老談記』 新しい章です。
新田へ早打ちの事、付けたり、和談調う事
さるほどに、漸く合戦止みければ、同巳ノ下刻(午前11時)に松嶋弥太郎参着して、和睦の趣通じければ、藤生・金谷伺い状をしたため、江原余右衛門を以て、午ノ上刻(正午)に新田へ早打ちを飛ばしける。同酉の下刻(午後7時)ばかりに、早打ち陣所に帰り、御返状のいう、久留川和睦においては子細これなく、三十日替わりに人質を渡すべきと相極め、その地退陣せしむべしとの上意にて、則ち松嶋与四郎・高草木内蔵之助両人を人質相定め、それより誓詞相済み、弥太郎は人質にして、両家の大軍引き払いけり。
あらすじ(大意)です。
ようやく合戦が止んだので、巳ノ下刻(午前11時)に、松嶋弥太郎は由良方の陣に到着して、和睦を申し入れた。
由良方の大将の藤生・金谷は、江原余右衛門を使者にして馬を走らせ、新田(金山城)に指示を仰いだ。
至急の使者は、酉の下刻(午後7時)に帰ってきた。
その返事は、「黒川衆との和睦は何も問題はない。人質を出させるように決めて、あとは陣を引かせるように。」という由良国重の指示だった。
そこで、松嶋与四郎・高草木内蔵之助の二人を人質とすることを決め、誓約書を作った。
とりあえず、(松嶋)弥太郎は人質となり、両家の大軍は引き上げた。
松嶋弥太郎は1人で来たのでしょうか?
昨日3人で来た由良方の使者は、結局高草木兵庫たちに殺されてしまいました。
ちょっと危険が伴いますね。
午前8時に始まった戦いは、約3時間で決着がつきました。
由良方は金山城に指示を仰ぎました。
黒川方は、松嶋弥太郎に全権委任だったのでしょうか?
「三十日替わりに人質を渡すべきと相極め」、よく意味が取れません。
いずれにせよ、黒川方から人質を出すことが求められたのです。
「松嶋与四郎・高草木内蔵之助両人を人質相定め」とありますけど、松嶋与四郎は松嶋弥太郎でしょう。
松嶋弥太郎と・高草木内蔵之助が、人質に決まったのです。
そして、松嶋弥太郎は帰らないで、人質として残るのです。
黒川の本城(深沢城)には、誰が連絡に立ったのでしょう?
( 新田へ早打ちの事、付けたり、和談調う事 終 )